2021年9月9日(木)
- ヒストリー
のうひ葬祭ヒストリー⑤
いつものうひ葬祭を温かく見守って下さり
ありがとうございます。
皆様にもっとのうひ葬祭の事を知って頂きたいと思い、
歴史を振り返りながら投稿させて頂いております。
今回もお付き合いよろしくお願い致します。
平成10年(1998年)
のうひ葬祭の要であった副社長を喪い、
世間ではのうひ葬祭は終わったと囁かれました。
大切な人を亡くしたばかりで悲しみも癒えない中
現社長鈴木哲馬が動き出します。
ここからのうひ葬祭第二章の始まりです。
鈴木哲馬(52歳)
岐阜県加茂郡川辺町に
鈴木家の長男(3兄弟)として生まれました。
『やりたいと思ったら周りからどう見えるかは関係ない。
自分がやりたいが一番重要。人がやってない事が好き。』(本人談)
その言葉が表すように、
18歳から23歳まで
人があまりやっていなかった
オートバイのロードレースに熱中していました。
西は岡山県の中山サーキット
東は宮城県の菅生サーキット
茨城県の筑波サーキット
そして三重県の鈴鹿サーキットと、
月のほとんどをレース活動に費やしていました。
しかし、
亡会長とレースは結婚するまでと約束しており
平成3年(1991年)
鈴鹿6時間耐久ロードレース(6耐)が
最後のレースとなりました。
6耐の結果は、
予選を44位で通過し
12位まで追い上げましたが
3時間のところでスプーンカーブで転倒。
残念ながらリタイヤとなりました。
最後のレースを完走する事が出来ず、
悔しい思いでレースを卒業する事となりました。
レースを卒業し、葬儀業界を変えたいとの想いで
マーケティングを学び始めます。
現在も弊社がお世話になっている神田昌典さんから学ばせて頂き、
平成10年(1998年)
『お葬式研究会』という勉強会を開催し始めました。
(神田昌典さんのピンク本に紹介されました)
そして、
平成11年(1999年)
お世話になったお客様とのコミュニケーションツールとしての
『のうひグリーン通信』(現・あなたとの出会いは合縁奇縁レター)
を創刊しました。
こちらは毎月発行しており、今年で22年目を迎え、
今月で262号になりました。
当時の葬儀業界は待つ側でいる事が多く、
お客様にこちらからコンタクトを取らない体質であった為
『お葬式研究会』も『のうひグリーン通信』も
業界では先駆けとなりました。
そして
平成13年(2001年)
33歳で社長に就任
ここからのうひ葬祭の
新たな挑戦が始まりました。
株式会社濃飛葬祭 副社長 鈴木ゆかり
”地域の不安を、安心に変える”
美濃加茂市・可児市・加茂郡八百津町での
ご葬儀はのうひ葬祭にお任せください